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内容紹介
痛みを知る側から社会変革の可能性を探る「高強度」の平和論かつスリリングな対談集。
史上初めてPTSD日本兵の家族会を作った黒井秋夫。心を病みながら戦後を過ごし、時には家族に暴力を振るい、社会に適応できずに生きた元日本兵士の存在を明らかにしたその活動は新聞・テレビで注目されている。もう一人の著者・蟻塚亮二は沖縄・福島で戦争・原発事故のトラウマ治療に取り組んできた第一人者。両親が戦争トラウマを抱えて生きた著者二人が、苦難に満ちた自分と家族の戦後の歩み、兵士や戦争被害のPTSDを語り、今も続く戦争の真の残酷な姿を明らかにする。また、被害者側から声を上げて、行き詰まる反戦の動きを民衆の側から実現しようと試みる、読み継がれるべき平和論、対談集。これまでの「多少の犠牲は仕方がない」という社会や国家の在り方を見直し、世界の傷つけられたもの同士で交流を図る平和運動について語り合う。「東アジア・戦争トラウマシンポジウム」も収録。ここでは「韓国」社会学者・鄭暎惠、「中国」歴史学者・李素楨、「沖縄」対馬丸記念館館長・平良次子と、国家による被害を受けた民衆同士の連携と赦しを模索する。
目次
第1章「親の戦争PTSDと生きる」―戦後の「手のひら返し社会」と戦争トラウマ
第2章「戦争トラウマを生き抜いた戦後」—私たちの青年時代
第3章 「PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会」-回復の実践
第4章 見捨てられ続けた日本兵、戦争・災害被害者とその家族
第5章 「痛みを知るものがつくる平和」-少数派を犠牲にしないために
第6章「東アジア戦争トラウマシンポジウム」
【第Ⅰ部・韓国編】
国家から被害を受けた民衆の連携を模索する―日本人の無力感を超えて 社会学者・鄭暎惠
【第Ⅱ部・中国編】
旧満州で黒井さんたちが謝罪した意味-民衆レベルで平和の土台を作る 歴史学者・李素楨
【第Ⅲ部・沖縄編】
「命に対する向き合い方が変わる」平和論-戦争体験者の生き方から 対馬丸記念館 館長・平良次子
あとがき
「戦後史の闇を背負って」 黒井秋夫
日本人の無力感を形成する「軍国主義のトラウマ」 蟻塚亮二
プロフィール
蟻塚 亮二
1947年福井県生まれ。精神科医。72年、弘前大学医学部卒業。97年まで、青森県弘前市の藤代健生病院院長を務めた後、13年まで沖縄県那覇市の沖縄協同病院などに勤務。13年から福島県相馬市の「メンタルクリニックなごみ」院長を務める。著書に『沖縄戦と心の傷 トラウマ診療の現場から』(大月書店 2014)、『戦争とこころ』(沖縄タイムス 2017年 分担執筆)、『戦争と文化的トラウマ』(日本評論社 2023年 分担執筆)、『悲しむことは生きること 原発事故とPTSD』(風媒社 2023)など
黒井 秋夫
1948年山形県生まれ。山形大学人文学部入学後、学生運動を主導したとして退学処分に。その後は地域の生活協同組合や全国生協連の職員などを務め、2010年に退職。 18年に「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」を設立、20年には、東京都武蔵村山市の自宅敷地に復員兵問題や戦争に関する資料を集めた「PTSD日本兵と家族の交流館」を開設した。2023年に会の名称を『PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会』に改称する